サンリックコラム

vol.05

レアメタルの話や業界のトレンド、サンリックの日常など、ざっくばらんなテーマをコラム形式で掲載していきます。不定期更新。

イノベーション

白い光でイノベーション その3
—— 陰極界面の冒険談 ——

寄稿:山形大学 フェロー 城戸 淳二

2025/12/02


有機ELの陰極構造について語るならば、まず歴史を遡らねばなるまい。

1987年、Tangたちが報告したMg:Ag合金——これが始まりであった。
我々がLi/Agの二層構造を発表したのは1993年。
そして1998年、化学ドーピングが登場し、同じ年、我々はリチウム錯体を用いた陰極構造を発表した。

この間、陰極界面で何が起きているのか、我々は見えぬ世界の深部を覗き込もうとしていたのでお話ししたいと思う。

リチウムの実験から、陰極界面では有機分子が還元されている——そう、界面では化学反応が起こっている。理屈ではなく、化学屋としてそう信じていた。そこへ現れたのが、酸化リチウムやフッ化リチウムといった、大気中でもしぶとく安定し、還元力もない連中である。絶縁物ながらそれらを陰極界面に薄く挿入すると、あら不思議、金属リチウムに匹敵するほどの電子注入効果を示すではないか、という報告が出始めた。

リチウム金属は言わずと知れた気難し屋だ。
空気を吸えばたちまち酸化し、少しでも湿気を呼び込めば火を噴く。
だから我々も、リチウム金属そのものではなく、「リチウムディスペンサー」と呼ばれる蒸着源を使い始めていた。

これはちょっとしたイタリア職人の名品だった。
タングステン製のボートの中にリチウム化合物などが仕込まれており、真空中で加熱すれば、リチウムイオンが還元されてリチウム金属が遊離して来て放出されるという仕組み。イタリア製で少々値が張るが、使い勝手が良い。しかも安全。

さて、話を酸化リチウムに戻そう。

実は、リチウムを挿入した陰極界面を応用物理学会で発表した場で、ひとりの聴衆が手を挙げて私に質問した。
「真空中でリチウム金属を蒸発させても、残留酸素や水で酸化リチウムになっている可能性はありませんか?」

なるほど、ごもっとも。
「ま、多少は酸化されてるかもしれませんね」と、その場は軽く流した。

が、耳の奥にその問いはしっかりと残った。
そのやりとりを耳にしたある企業の研究員が試したところ、酸化リチウムでも有効であると。もちろん特許を出願した。

さらにまた、この研究員が結果をビールを飲みながら何気なく外国の他社研究員に漏らしたところ、今度はそれを聞いた研究者がフッ化リチウム(LiF)を試し、こちらも有効に機能した。もちろん特許を出願した。
「Beer Story」と言って、この分野では有名なエピソードとなっている。今では笑い話だけどね。

かくして、安価で安定したリチウム化合物を極薄膜として挿入すれば、立派に陰極界面として機能する、という“裏道”が確立されたのだった。

だが、ここでまた立ち止まる。
なぜ、絶縁体であるはずのリチウム化合物が、電子注入を助けるのか?
論文や学会では、大きなダイポールモーメントを有する分子が形成する電気二重層により、電子のトンネル注入障壁が下がる——と説明されていた。
……まあ、それも一理あるだろう。だが、化学屋としてはそれだけでは何か物足りない。

そんな折、研究室に滞在していた企業の共同研究員である松本敏男さんとの議論の中で、ひとつの仮説が浮かび上がった。この松本さんとは、早稲田大学の理工出身、いわば同門。

しかし彼は、同じ化学屋でありながら、学生時代はオーケストラのコンサートマスターだったというのだから、もう話が違う。 発想も行動も、私とはまるで別の惑星から来たような男で、どこか優雅で、時折突拍子もない。
化学科出身ながら化学構造よりもクラシックの楽譜が脳内に蓄積しているかのような人だった。「白色有機ELを液晶のバックライトにしたい」という藤沢に事業所のあるInternationalな会社の命を受けて、送り込まれてきたのだ。

その彼曰く、真空冶金の世界では、カルシウムやマグネシウムのイオンが、高温のアルミニウムなどの金属によって還元される、らしいですよと。だからリチウムディスペンサーが可能なんです。

ならば、と私。
酸化リチウムも、フッ化リチウムも、有機層の上に薄く真空成膜された状態で安定に存在している。 その上に、高温で蒸発させたアルミニウムを堆積すると、リチウムイオンが還元され、リチウム金属となって界面に遊離する。 そして有機分子と反応し、化学ドーピングが起きる——そういう“その場反応”が起こるのだ。

ならば、リチウムイオンを含む化合物なら、無機であれ、有機であれ、可能性があるのではないか。

そうして合成し、試したのがリチウムキノリノラト錯体(Liq)だった。
LiqはLiFやLi酸化物のような絶縁体ではない、有機物の配位子を有し、電子輸送性というもうひとつの“顔”を持っている。 n型材料としての能力を備え、しかも電子注入層としても機能する。だから絶縁体のLiFとは違って、大型基板でも多少膜厚が変動しても機能する。
しかも値段も安い。高性能、安全、コストパフォーマンスの三拍子が揃った、まさに夢の素材である。

こうして、陰極の世界にもまた、ひとつの常識が生まれ、今では基礎研究にディスプレイパネルにと広く使用されている。

研究というのは、人と人と人と人、
人と人が交わるところに思いもよらぬ果実が実るのである。

つづく。

寄稿:山形大学 フェロー 城戸

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